自分らしさを取り戻す
2018/10/26 [コラム]
もう起きても大丈夫だよ」
~自分の感覚を目覚めさせて、自分らしさを取り戻そう~
人には本来様々な感情があります。
うれしい、悲しい、楽しい、寂しい、怒り、穏やか…
様々な感情があるからこそ、人間らしいと言えます。
怒っている子を見て、「あの子は怒っているみたい、何か嫌なことがあったのかな?」と考えたり、
泣いている子を見て、「あんなに泣いてどうしたんだろう。何か悲しいことがあったのかな?」などと想像
することもあるでしょう。
また天真爛漫な人を見ていると、こちらまで微笑ましく思えたりします。
その一方で、自分の感情を抑えていて、こちらが「この人、我慢しているんじゃないかな」と思えるような人も存在します。
この違いは一体どこからやってくるのでしょうか?
それについて少し考えてみたいと思います。
あるところに、まだ小学校1年生ぐらいのかわいらしい子どもがいました。
「ねぇーお母さん、見て見てー。ほら、きれいにできたよ」とその子が得意気に言います。
その子の母親は「もう、そんな汚いドロ団子なんて捨てなさい。汚いのを触るのはお母さん嫌だって言っているでしょう」と子どもに言い聞かせます。
またある時、その子が「ねぇ、お母さん。面白いなぞなぞを考えたから答えてね」と言うと、母親は「そんなことより、ちゃんと勉強しなさい。ちゃんとした子はたくさんお勉強するのよ」と子どもに言います。
そういう事が繰り替えされると、どうなるのでしょうか?
「ああ、思ったことを素直に言うと怒られるんだな」「お母さんは『勉強を頑張るいい子』が好きみたいだから、そうしよう」と考えてしまうかもしれません。
そこで『ありのままの自分ではいけない』と学んだのかもしれません。
一方、こんな母親に育てられるとどうでしょう。
「ねぇ、お母さん見てー。ドングリ見つけたよ」とその子が言うと、母親は「まあ、すごいわね。いいもの見つけたわね。きっと動物たちの食べ物になるのよ」と一緒に楽しんでいます。
またある時、その子が「今日ね、野原を探検して、アリさんのお家を見つけたんだよ」と言うと、「どんな家族が住んでいるのかな。今度調べてみようか」と子どもの話に興味を持っています。
前者は「自分の言いたいことを言っちゃいけない」「自分の意見は抑えなきゃいけない」と学んでいくかもしれません。
『ありのままの自分ではいけない』との思いから、自分の考えを抑え、周りの親、兄弟の価値観を吸収して行くのかもしれません。人の顔色をうかがうようになったり、相手の反応に敏感になります。
『本当の自分』が考えたり、感じたことではなく、後天的に周りに刷り込まれた考えを、あたかも自分の考えだと思い込んでいます。
後者は「自分の言いたいことは言っていいんだ」と学んでいくのかもしれません。
『ありのままの自分でいいんだ』との思いから、自分が考えたり、感じたことを、自分の言葉で表情を交えながら伝えるようになるでしょう。
自分の感情、考えを聞いてもらえる環境に置かれていたなら、それを自然に相手に伝えることができますし、
そうすることが許されない環境に置かれたなら、自然とそれを出さなくなるでしょう。
このようにその人の考えは、その人の本心から出たものなのか、それとも後天的に他人から刷り込まれたルールなのかは、区別がつきにくいのです。
人は考えることにより進歩してきました。その一方で、社会に適応するために、周囲から望まれる考えを受けいれる傾向があります。
自分よりも相手を尊重しなければならない、弱音を吐いてはいけない、みんなの意見に合わせなければいけない、など刷り込まれたルールが、いつしか本当の自分の価値観だと信じてしまっているのです。
その人の本音の部分というのは『身体の反応』『感情』という原始的な感覚から、知ることができます。
例えば、友達4人で遊びに行く事になって、他の友達はいいけれど、ある友達が側にいると胸のあたりに圧迫感を感じる、とう事があったとします。
本人は「みんないい人だし、一緒に行けてよかったよ」と言うけれど、『身体』はある友達に対しては拒否反応を示しています。
またある人は、会社に近づくと足取りが重くなって、吐き気がする症状が出ます。会社と反対方向に行く時には特に身体の症状もなく、問題なく行けます。これも身体は会社の何かに対して、拒否反応を示しています。
あるいは、ある話題を話していると、悲しくないのになぜだか涙が出てきたりします。
これはその人はまだ気づいていないですが、心の琴線に触れることが、その話題の中にあったのでしょう。
このように『身体の反応』『感情』というのは、その人の本音の部分を引き出してくれます。
昔から、自分の考えを否定され続けたり、考えを他の人から修正するように言われ続けると、本当は自分が何を望んでいるのか、何を考えているのかが、わからなくなってしまいます。
幼い頃に封印した『本当の自分』を開くカギが、『身体の反応』『感情』なのです。
それを知るためには、何かストレスを感じた時に『身体の反応』や『感情』があれば、まずは頭を使わずにそのメッセージを受け取っていきます。
例えば、友達に言われた一言によって、胸に突き刺さる痛みを感じ、悲しい気持ちになったとします。
その時に、頭ですぐに答えを出そうとせず、自分の内面に意識を向け、語りかけてみます。
〈この感覚(胸に突き刺さる痛み)、感情(悲しい気持ち)は何を伝えているんだろう?教えてくれる?〉
と自分の内面に語りかけてみます。
しばらくして反応が返ってくるのを待ちます。
何か映像が浮かんでくるかもしれないし、言葉がふっと浮かぶかもしれないし、直感的に何かを感じるかもしれません。
胸の辺りに矢が刺さった映像と共に、「ああ、私は自分のことをもっと大切にしてもらいたい、と思ってたんだ」「信じてたのに、裏切られた気がしたんだ」ということが直感的に感じられるかもしれません。
また〈どうしたら、楽になるんだろう? 教えてくれる?〉と解決策も尋ねてみます。
そうすると、自分が落ち着いた様子で相手に対して「そういう風に言われて、つらかったの」「あなたとはもっと仲良くしたいと思っているの」と言っている映像が浮かんでくるかもしれません。
人が考えているのは、その人の頭に浮かんだ表面上のものだけです。
多くの部分は「無意識」と呼ばれる、普段表に出てこない部分によって大きな影響を受けています。
そこには、自分の持つ潜在能力などが、たくさん眠っているままなのです。そこからちょっと情報を引き出したのです。
『身体の感覚』『感情』を大切にすることで、幼い頃に封印してしまった『本当に自分の気持ち』の封印を少しずつ解いていくことができます。
人によっては、他人から理不尽なことを言われたり、ひどい態度を取られても、何も不満を言わずにそれを受け入れる人がいます。
でも、段々と『身体の反応』や『感情』を通して、自分の本音に気づいていくと「怒り」が湧いてきたり、「悲しみ」を感じることも出てきたりします。
昔はそういうことでしょっちゅう傷ついていたのかもしれません。それでは自分が持たないので、自分の感情を麻痺させて、辛さを感じないようにして自分を守っていたのです。
でも、本音を少しずつ知っていく事で「あんな言われ方して、くやしかったんだ」「自分はそんな事言われてもいい人間じゃないのに…悲しい」など、抑えていた感情が少しずつ溶けて流れ出していきます。
人は本来様々な感情を感じるものなのです。
最初はずっと抑えていた「怒り」「悲しみ」が出てくると、そんな自分に対して驚くかもしれません。
そういうことが繰り返されると、本当の自分がどう感じていて、何を大切にしていたのか、少しずつ思い出していきます。
それとともに、周りの世界が少しずつ生き生きと、実感を持って感じられることでしょう。
どんな感情も存在していいのです。
怒り、妬み、悲しみ、絶望、孤独… すべてが『本当の自分』を知ることに繋がっていきます。
どんな感情もあっていいんだ。自分がどうしてそう感じるのか、探ってみよう。
どんなものが出てきてもOK。そんな寛容な姿勢が、自分自身を受けれていくプロセスになります。
今回の集団認知行動療法では、前半はこの考え方をもとに行いました。
最近ストレスと感じた出来事を3つ挙げ、その時の『身体の反応』『感情』に意識を向けてもらいました。そして、それはどんなメッセージを伝えてくれているのかを探り、どうすれば楽になるのかを探って行きました。
さらに、その共通するパターンについても考えてもらいました。
例)相手に対して不満があるけど、言えなくて、心の中で文句を言っているパターン
本当は嫌なのに、それを言えず、苦しくなってしまうパターン
人から攻撃されるのが怖くて、相手の欠点を見つけると、先に攻撃してしまうパターン…
どうして自分がそのパターンを取ってしまうのかを考えてもらいました。
そして後半は、そのパターンが生じた起源を探り、イメージの中で新しいパターンを教えてあげることを行いました。
人というのはその人が、ありのままの姿で生きているのを見ると、魅力的に感じるものです。
今まで抑えていたものが、少しずつ溶けていくと、どうなるのでしょうか?
ある時自然に思ったことを言葉にしていたり、自然な笑顔があふれるのに気づいて、自分の変化に驚かれるかもしれませんね。